「完全に蕎麦に自由を奪われてしまっています。」
「そういうものを持っていることのほうが俺は自由よりも幸せだと思う。」
さすらいの江戸蕎麦職人の矢代稜が、地方を行脚してまわるビックコミックに連載中の山本おさむの「そばもん」からの抜粋です。僕このマンガ大好きなんですが、いやー、このセリフ、カッコ良過ぎですね。
不自由と自由は表裏一体で、不自由を知らなければ、自由の意味を知ることはできないように思います。
お金で買える自由もありますが、僕は積み上げられた不自由の上に成り立つ自由が好きですね。それは誰でも努力さえすれば得られることだから。
僕がパーティーというフォーマットにこだわって、DJをやり続けているのは、この一晩の自由さが好きだから。
そして、それは圧倒的な不自由に支えられています(嫌じゃないですけど)。
僕が20歳くらいの頃、大学の友人から面と向かって
「おまえはDJじゃない」
と言われたことがあります。
もちろん、その頃は自分がDJの真似事をしているとは思っていましたが、さすがに悔しかった。
ただ、当時の僕は集めていたBRASILのレコードをかけているだけで、今思えばDJというものとはとても呼べるようなものではなかったと思います。
なんかものすごく浮わついた気持ちでDJをしているのを指摘されたような、そんなやるせない気持ちにさせられました。
以来、彼から言われたこの言葉を心に刻んで、DJを続けています。気持ちがブレそうな時にこの言葉を思い出すようにしています。
僕、DJとして、けっこう順風満帆なように思われがちなんですが、ぜんぜんそんなことはなくて、DJに関しては苦い思い出がたくさんあります。およそ、僕が過ごしたパーティー&DJライフは、自分がマイノリティーであることを徹底的に意識せざるを得ない、そういう現場がほとんどでした。
それも全ていい思い出に変換できているのは、DJだけは続けることができたから。
色々と人生の選択の中で、辞めてもいい瞬間はあったけど、辞めなくてよかったと心底思えています。それだから、矢代稜の言葉が響くんだな~。DJをやれていることの有難さが身に沁みてよくわかるんです。
たぶん、DJというのは、音やテクニック、知識もちろんそういうのも重要ですが、結局のところスタンスだと思うですよね。少なくとも、出発はそこであるべきだと思う。
それは、文化を創ろうとしていることだと思います。どんなに小さな文化でも、それに積極的に関わろうとすること。
パーティーに遊びに来ている人、音を素直に楽しもうとしている人は、それだけでDJをする価値があると思います。そのある種の敷居の低さが、僕のような人間でもDJを続けられる理由かもしれません。
そういえば最近ブロードウェイ・ミュージカル『RENT』のドキュメンタリーを見ました。抑圧されたマイノリティーの代弁者が12年間ブロードウェイで叫び続け、差別や無理解を是正してきたことには、希望ですよね、やっぱり。
カーテンコールのあの劇場にいる人々全てを包んだ幸福は、僕がパーティーで得るものとはもちろん比べることはできない規模のものですが、ほんの少しですが、その質がわかるような気がするのです。
ちなみに、こういう見解をしているだけで、もうマイノリティーなのかもしれませんが、パーティーを楽しんでいる人って、抗う人だと思いたいんです。
この不自由なのか自由なのかわからない生半可な世の中で、自由を楽しむぜ!って言って踊って、叫んで、お酒を飲むだけで、そこには自由が束の間だけど生まれると思います。そういう行為自体が清々しいものだと。逆にその本質を忘れてしまうと、僕にとってはパーティーはすごく色褪せて見えてくる。
そんな自由のためなら、徹底的に不自由なことがあってもいいと思うんですよね。
むしろ、この不自由は、自由か不自由なのかわからないことよりも幸せなんじゃないかと。
そんなことを確信した、communication!からの約1ヵ月でした。
パーティーレポートはまた後日~。
2 件のコメント:
全面同意っす!!!
これはレジスタンスだ!
レジスタンス!
僕はそんなカッコイイものではないんですが、人に迷惑をかけない程度に自由を謳歌できる環境はつくっていきたいですね。
お互いがんばりましょう~。
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