2012年11月30日金曜日

11.30 FRI FORCE OF NATURE "EXPANSIONS" Release Party Meets ROBERT JOHNSON NIGHT

  
いよいよです!!!代官山AIRにてお待ちしています!!!!!

来れそうな方は

haraguchic☆gmail.com(☆を@に変えて)

まで連絡ください〜!!! 



http://www.air-tokyo.com/schedule/1181.html


2012年11月28日水曜日

意識の劣化について。

日々うんざりするようなニュースしか流れてきませんね…。これって本当に他人事ではないです。国がどうこうって以前に、自分自身の意識が劣化し始めていんじゃないかという気までしてきます…。

政治にしろ文化にしろ細分化し過ぎていて、その枠の中しか知らなかったり、居心地の良さに満足し過ぎちゃって、そこで完結してしまう人が多いことに何かしらの問題点を感じ続けています。左右上下全方位関係なく。

世界から提示された情報量の多さに圧倒されていて、自身の中での編集が追いつかない状況なのかも。実はテクノロジーは何も助けてくれていなくて、僕らが思考停止し始めただけなのかもしれない。

ネットの進化によって、編集能力が高くなった人はきっとタフな人です。多くの人達は膨大な情報を前に、結局誰もが見る様なページしか見ない。そしていつのまにか思ってもみない場所にたどりついている。

あっちもこっちも言っていることはわかる、自分の意見はこうだ、と中道の立ち位置から意見を言える人が減ったのかもしれない。他人を無作為に傷つける配慮の無さが溢れていることもそのことと無関係じゃないと思います。

結局は越境者と言えるような人が極端に減ったような気がします。もちろん、主義主張関係なく、ただ目的を成就させるために鞍替えするような人達は、越境者じゃない。そういう人は自省することのない背信者です。

色々思うことはありますが、1人1人の意識を変えるためには、まずは自分の場所を知り、そのボーダーを超えてみること、それをできるところからまず実践することだと思っていて。政治的にだけじゃなく。

悠長なことを言っている気がするけど、多数決のやりあいみたいになったって、しょうがないと思うんです。多数からの賛同を武器にするっていう発想は全体主義の匂いがするし、結果異端をはじくことになる。

もちろん政治的にも文化的にも、より他者への眼差しが優しいこと、まずそれを選択する人を増やすべきなんですが。これは緊急の問題ですよね。じゃないとそもそもそんな悠長なことを生む土壌さえも排除してしまうので。

勘違いしてはいけないのは、多様性を尊ぶということは、何でもやっていいよ!ってことじゃなくて、未知と既知の世界から何かを選びとり、それを信じることなんじゃないかと思います。もちろんそれは広大な世界から何かを選んだだけに過ぎないわけで。そういうことも含めて信じたいし、自分の選択に自信をもっていたい。選ばれなかったものへの敬意も忘れずに。

まずは自分自身の意識を劣化させないようにしたい。せめて、そういう人でありたいと思うことで、この流れに抗いたい。

そう感じています。



追記:自分の意識の劣化について書きましたが、久々に内田樹のブログを読んだら、人間の劣化について書いてあった…!これ、面白いので読んでほしいです。 ↓

http://blog.tatsuru.com/2012/11/19_1120.php







2012年11月23日金曜日

FREE SOULとharmony3周年




橋本徹の「harmony」3周年記念対談

http://th-suburbia.jugem.jp/

(注:対談相手の原口さんは僕ではなく、原口高弘さんです~。)


FREE SOULを初めて手に取ったのは、確か中学2年生の時。


兄貴が持っていたparadeとlightsが入口でした。

トラックリストを見ただけで、脳内再生できるくらい聴き込んできます、この2枚は。そして、やっぱり収録されている楽曲がホント素晴らしい。

これが1つのムーブメントになり得た時代というのに思いを馳せずにはいられない…。

このCDに収録されているストレートなSOULやDISCOにも当時もちろん心惹かれたんですが

コーネリアスの"Perfect Rainbow"のネタが"HEY HEY HEY, SHE'S O.K"だと知って、レア・グルーヴっていうムーブメントを知り、のめり込んだり

"CELEBRATION OF THE SUNRISE"でセルメンを初めて知って、ブラジル音楽をその後掘るようになったり

"JE T'AIME... MOI NON PLUS"を聴いて、フランス映画に興味を持ったり

"MATHAR"が導いてくれて、その後Talkin'JazzからMPS/SABAのドイツジャズ、ひいてはヨーロピアンジャズに心惹かれるようになったり

そんなすごく昔のことを、この対談を読んで、思い出しました。FREE SOULのライナーは対談形式だったから。

当時僕はあのライナーを読みながら収録曲を聴きメモとっていたり買ったばかりのCDを移動中にとりあえずライナーだけ読んだりとかしてたな~と。もちろんまだ行ったことのないインクスティックに憧れてみたり。

そんなわけで、今回の橋本さんと原口さんの対談に、知っている人達の名前ばかり載っていて嬉しかったし、自分の名前もあって、変な気持ちになりました。まあ、ミーハーなだけですが…!

色々な縁があって、今橋本さんや原口さん、ナルさん、ユウジ君と、約3年間このパーティーを続けていますが

FREE SOULを聴き始めたそんな10代始めの頃から、ずっと何かがつながっていて、harmonyが始まって、そして3年が経過したんだと、あらためて実感することができました。

懐古主義でもなく、でも歴史性をきちんと重んじることができて、前を見据えることができる、そういうパーティーを、主宰者、DJ、参加者、関わっているみんなでできていることが嬉しいです。

そして、この40枚は、まさに!なセレクトで、harmonyを知らない人にも今現在の橋本さんの感じを知ってもらえるかもしれない。実際、橋本さん、よくかけています。対談の中でもありますが、正直こういうイメージは僕も2009年には全くなかったですね~

果たして25日はどんな夜になることやら!3周年の夜をたくさんの人達とお祝いしたいですね!!!アプレミディで18時からチャージフリーでやっていますよ~!!!

http://www.clubberia.com/events/201185-harmony/









2012年11月13日火曜日

プロムパーティーとアナログ、あるいはDJについて。

随分前ですが…

http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/6279

TIME OUTのこの記事を読んで、風営法の話自体よりも

「風営法がなかったとしても、クラブの時代が終わりに差し掛かっているのではないかと心配している」

その箇所に現在の歪みの本質的な何かを感じ、うんうんと頷いてしまいました。

風営法の問題自体も非常に根深い問題なんですけど、今クラブをとりまく問題というのは、もっと切実な何か、というような気がします。

最近よく感じているのは、クラブではなくても、なんとなく音楽がかかっていて、音に浸ったり、踊るような感じではなく、盛り上がっているような場所は、昼夜問わずある、ということです。決して遊ぶこと自体が盛り上がっていない、というわけではないということ。

さらに付け加えると、そこでかかる音の内容よりも盛況なことだったり、雰囲気が洒落れていたりすること、そちらのほうに魅力的に感じている人が全体的に増えているように感じています。もちろん雰囲気がよければよいほどいいわけですが…。

どうでもいいですが、僕はこれを“プロム化”と勝手に名付けています。

プロムの意味はこちらをどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A0


プロムパーティーなんてもちろん行ったことないんですが…。プロムパーティーみたいな、ウキウキとした雰囲気を楽しむ感じとでもいいましょうか。ティーン向けの海外ドラマに代表されるような、あのパーティー感を楽しみに行く人が増えているということですね。それはそれで…外に出掛けることが増えていいと思います。ドレスアップして、パーティーを楽しむ、そういう感覚にようやく日本人が馴染んできたのかもしれません。僕も好きです。そういうパーティー。海外ドラマもよく観ますし。



でもね…


プロムだから、“卒業”していくんです…。



さてさて。

先日のDOMMUNEで今アナログというフォーマットを問う、というような企画があって、僕は間近で観ていたんですが、僕らのようにレコードというフォーマットに魅せられていることの逆回転な同時代感に、僕自身はただただ共感でした。僕もずっと購入している馴染み深いフォーマットですし、CDはほとんど買いません。

反面、また深いところにまた1つ潜ってしまったかもしれない、ということも感じたりしていました。そもそもワカルつもりのない人達にはきっとそのこと自体が響くことはないんだろうな、と。悲し過ぎますが…。

もちろん若いDJの中には、リアルタイムなアナログユーザー(ソノシートとかを子供の頃に手回し再生とか)ではないのに、そのフォーマットをそれぞれの理由があって、選択している人達もちゃんといます。そういうのは希望でもありつつ、でも、やはり少数派だと思います。

まあ、ここでしたいのは、フォーマットの選択の話ではなく、なぜそれを選択しているか、というそんな話なんです。

昔はカッコイイということは、どこかワカラナイことであり、それをワカルための過程こそがカッコイイことに近づくための道だったと確信していますが、今はもっと手に取りやすい、誰でもワカルことがヨシとされるようになっている気がします。情報の伝播の仕方が一昔前とはぜんぜん違うから、情報を受け取るまでの心の準備ができていない、盲目的にこの記号を信じろ、と言われているような気がしているわけです。ワンクッションを置いて、考えて、その情報を受け取る、そんな準備がなかなかできない、そういう状況なのかもしれない。だから、よくワカラナイことを選択している自分自身にときおり疑問を持つこともしばしばです…。というよりもワカラナイことへの探求に価値を感じてしまうんです…!


大人への通過儀礼として、過ぎていくものである“プロムパーティー”と、僕が買い続けているレコード、そして続けているDJ。



今後もたぶん、僕のような人はわざわざあまりワカラナイことを選択していくに違いありません。だからこそ、これからどうしていくのか、そういうことを問われている、そんな気がしています。



今僕が感じているのは、風営法への危機感はもちろんですが、昔ほどリスクを背負ってまでクラブで何かをやろうという人が減り、リスクを背負うほどの魅力を感じなくなっている人が増えているのかもしれない、ということです。それはきっと、今が楽しければいいから。もしかしたら、自分達のテリトリーの中での居心地の良さを享受してしまった結果、そこにあるリスクを引き受けられなくなったのかもしれない。


なので、僕らがその面白さとか魅力をシンプルに伝えることは、まず自分自身が外に出ることでしか答えにならないのかもしれないとも思っています。

色々なことが保証されていたら世界は面白くないし、そもそもどんなところにも保証なんてないはずで。実はあるのはリスクばかり。そのリスクを承知で、魅せられて、飛び込んで遊んでみたいものが、クラブだったし、DJだったというのが僕です。その気持ちは10代半ばに初めてクラブの扉を開けてから全く色褪せていません。

たぶん、今問われていることは、僕らが先を見据えて楽しんでいるかであり、それが外に対して魅力的にうつっているかどうか、それをちゃんと伝えられているか、そういうことかもしれません。

よくワカラナイ自分をワカッテもらう努力をしているかどうか。

自分自身を省みながら、行動していかないと、全ては対処療法のようになってしまうのでないか、というのが僕なりの危機感です。あまりにも遊び方が細分化して、自分達がマイノリティーだと気付いたときに、自分達と他の人達の違いを強調したところで、溝が深まるばかりかもしれない。

もしかしたら、療法の果てには自分が好きだったものの形骸しか残されてないかもしれない。過剰に喧伝されたサービスに対し、その対価としてお金を払う、という消費者マインドが蔓延し過ぎていて、よくワカラナイものを楽しもう、という雰囲気ではないことも、そもそも多くの人にとって、よくワカラナイものであるクラブの斜陽に拍車をかけているように思います。そうやって迎合する形でよくワカルものになった時、それがはたして本当に自分が好きなものかどうか、面白いものかどうかはまったくわかりません。プロムパーティーみたいな華やかなパーティーは好きだけど、自分が好きな音が鳴ることもなくなって、そんなパーティーばかりになったら、やっぱり僕はイヤです。

今必要なのは、1人1人にとってのクラブや音楽への気持ちだったり、想い出だったり、もっとパーソナルなものを、斜に構えずに、ちゃんと言葉にすることではないか、というのが僕の直感です。ナショナルストーリープロジェクトじゃないですが。そういうことをもっと共有していくことで、共感して、また行きたくなる、足を運びたくなる人が増えるかもしれない。現状を嘆いてばかりでもしょうがないし、今起きている流れにきちんと抗うことも、時に必要なんじゃないか、と感じます。もちろん、それぞれが、自分のできる範囲で。


確信をもって、自分達の場所で“ダンス”したいし、その光景をたくさんの人達と共有したいです。プロム(卒業)パーティーにすることなく、ね。