2010年4月3日土曜日

アーサー・シモンズ「エスター・カーン」を読んで、「そして僕は恋をする」を想う。

アルノー・デプレシャンの「そして僕は恋をする」をスクリーンで初めて観てから、たぶん15年近く経っています。

その間何十回と観続けていますが、主人公よりも年上となってしまった今となっては、この映画への深い共感はもう揺るぎないものとなっていますし、それでいてなお新鮮な驚きを発見することもあるから、デプレシャンは本当に素晴らしい作品を世に残したのだな~としみじみと思います。

原題と比べると、フランス映画好きな人がいかにも好きそうなタイトルをつけるあたりがイヤラシイな~といつも思うし、自分もこれを観た高校生の時はそういうわかりやすいもの(オシャレな恋愛モノ)を期待して観たんですが、あっさりと裏切られました。

正直に言うと初めて観たそのときはあまり“わからなかった”のですが、でもその後ビデオにも録画してこればかり観ていたし(今ではDVDも持っています)、何かあるとよく観ていました。どこか人を惹きつける魅力があることはもちろんのこと、10代の僕でも観るたびに気付くようなことがあったんですね、たぶん。

ある時期から、1つのシーンが気になるようになって。

主人公ポールが従兄弟のボブにパーティーの時に「俺はあることに気付いたんだ!」って熱弁するところがあるんですが(観た人ならわかりますよね?)、そのシーンがこの映画のハイライトなんだと思うようになってから、僕にとっては俄然この映画が面白いものになったんです。

ポールは大学で教鞭をとっている相当なインテリなわけですが、当たり前過ぎることを熱く語るんですよ、このシーンで。そのどうしようもないテンションとかは同性として共有できるし、やっぱり男ってバカだな~と痛感したわけです。存在そのものが滑稽な男っていう生き物と、それを取り巻く女性達をこの映画は描いている。そして、取り巻く女性達の直感的な生き方、自立へ向かう姿勢の美しさに気付いた時にこの映画の真の面白さを発見したということでしょうか。もちろん、あまりにもどうしようもない男達へ泣きたくなるほど共感できることも、この映画を僕がずっと好きだと言い続けている理由ですけどね…。

「キングス&クィーン」を観て、「そして僕は恋をする」で僕が感じていたことを僕自身カンペキに納得した時、この映画がさらに好きになりました。そうやって、観る度に好きになる映画ってのはなかなかないわけです。


で、アーサー・シモンズ「エスター・カーン」です。

デプレシャンを好きな人は知っていると思いますが、デプレシャン監督作「エスター・カーン 目覚めの時」の原作でもあります。

実は僕にとってはデプレシャンの中でも日本公開されているものでは唯一観ていない作品で、舞台が19世紀末ということもあり、デプレシャン=現代的な群像劇を撮るイメージが強かったので、この映画、避けていたんです。

ただ、原作者のアーサー・シモンズの名前は、これとは別の著作「象徴主義の文学運動」が有名なので知っていて、彼とデプレシャンがどうつながるんだろう?と興味を持っていたので、原作はずっと前から購入していました。ただ、時間がないだのなんだの、色々言いがかりをつけて、原作も全く読んでいなかったわけです…。

そんな状況だったんですが、ようやく自分の中でも色々と落ち着いてきて、本を読む余裕もできてきたので、家の本棚から取り出して読んでみました。

そしたら…

すごく現代的で面白いんです!本当に短い短編なんですけど!

あらすじは、ユダヤ移民街出身の貧しい少女が舞台女優を目指すというもので、それ自体に新鮮な何かは感じないとは思います。僕も映画を観なかったのはそのあらすじにあまり魅力を感じなかったから。

それが、こんなに素晴らしいとは思わなかった…。心に響いてきたのは、この小説のシンプルな美しさです。

自分の内なる声に耳を傾け、情熱を注ぎ、それがある瞬間に充足されるとき、真の感動がある、そしてその内なる声とは“なんとなくある違和感”だったりするわけです。ここで感じている違和感というのは、“周囲とは違う何者かである”という確信。その違和感と対峙するということは、とても孤独な作業です。その何者だ?という問いに対して、主人公エスターにある経験を経てふらりと訪れる答えが、簡潔であざやかなこと!満たされることとはこういうことだよな、と思いました。

デプレシャンがこの小説にハッとして、映画まで撮ってしまった気持ち、すごくわかります。エスターはまさにデプレシャン映画に登場する女性像の理想形といえるでしょうね。



「衝撃的で勇気のある、徹底的な渇き。おそらくそれは、人生というより精神への渇きなのだ。」

「孤独は我々のことも待ちかまえているし、我々の人生は不確かなものだ。だからこの探求は私たちのものなのだ。」



デプレシャンがこの本に寄せた序文です。


19世紀末に比べるまでもなく物質的に豊かになり過ぎた現代においてさえ、人は物質的な渇きを訴え続けています。それに比べて精神的に渇くこと、そしてそれが満たされていることは顧みられているのか?

飽くことのない物質的な渇きは、精神的な渇きの代替物にはなりえません。精神的に渇かないというのは、それは気付かないだけで、どこかで自分を偽っているのかもしれない…。

自分自身の内なる声は大事にしていたいと思いました。



これは映画も観なきゃです。いや~、いい本読みました。気になる人は是非!平凡社ライブラリーで刊行されております。



そういえば、フランス映画祭って、横浜から東京に移ってからは全く無視していたんですが(横浜でやっていた時は毎年行っていました)、今年デプレシャンとマチュー・アマルリックが来日していたんですね…。2008年に撮って日本では未公開の「クリスマス・ストーリー」を上映したとのこと。(日本では秋公開とか。)

しかも東京日仏学院でトークショーとかあったらしく……すげー行きたかったです。

こういうところのアンテナは昔よりもだいぶ感度が鈍くなってきているというか、すでに働かなくなっています…。


落ち着いてきたので、クラブやパーティー以外にも積極的に外に出たいな~と思いました!


そんな今日この頃です。


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