お盆ですね~。
お盆というともう20年も前になるんですが、宮崎、都城での夏の日々を想い出してしまいます。
知っている人もいるとは思いますが、僕の母親は小学校1年の時に亡くなっていて、そんなことがあったから、当時父親と住んでいた横浜を僕と兄貴は離れて、都城の祖父と祖母と親戚の皆様に預けられ、育てていただいたという過去があります。
これは決して、悲壮感の漂う話ではなくて。
クワガタとカブトムシの宝庫、そして釣りや川遊びと、子供にとっては天国のような環境で遊び呆けて過ごすことができました。もちろん、都会から来たということで、馴染みづらいこともありましたが、それも最初の1年くらいで、自分にとっての故郷はここだ!という意識があります。(もちろん、実家のある横浜にも愛着があります。)
20年前、都城の僕が住んでいたところでは、お盆は今とは違って一大イベントでした。
お盆の時期の1週間、あの世から故人が帰ってくるんです。ですから、僕もちょうちんを持って、近くの納骨堂に母親の遺骨が納められていたので、その魂を迎えに行きます。地域の人達が総出で、ちょうちんを持って列になって夜納骨堂へ向かうのは壮観だったな~。
それから、一週間、母親だけでなく僕らの先祖達と過ごすんです。近所の人達も会いにやってくる。みんな故人の話をしながら酒を飲む。とても賑やかな一週間です。
そして、最期の日には同じように列をなして帰ってきた皆をあの世へ送り出します。母親と別れるあの時の妙な悲しさは今でもよく憶えています。
思春期を過ぎた頃には、既に横浜に戻ってきていて、お盆に宮崎に帰れないこともあり、こういう慣習と自然と距離をとってしまいましたが、最近になってよく思うんです。ああいうことを経験できて本当によかったと。故人や死との自然な付き合い方があそこにはありました。
今の日本だと20年前にはどこの田舎でも行われていたそんな慣習を、だんだんと見ることさえできなくなっていることでしょう。
1960年代の高度経済成長期の日本を美化したがる風潮に対して僕はぜんぜん同意できませんし、昔はよかった、なんて言うつもりさらさらないですが、伝統的であり、プリミティブな慣習が無くなることで、僕らは間違いなく何かを欠落しています。ただ、幼い時に見た風景を忘れずにいることで、いつでもあの時に戻れるような気もしています。
お盆というのは、やはりそういうことに想いを馳せるタイミングですね。
亡くなった母親や祖父、祖母、叔父、先祖達、そして家族や親戚には不義理をしてばかりですが、そういう経験をさせてくれたことにとても感謝しています。
こんな場で恐縮ですが、ありがとうございます。
そして、兄の誕生日が8月15日なんで、ちょっと早いですが、オメデトウ!!!中国で家族抱えて仕事するのは大変かと思いますが、日本代表としてがんばってくださいね。侑士君の成長っぷりを楽しみにしております。
甥っ子にとってもいい時代が来るように、どんな形であれ、僕も前向きでいたいと思います。
そんなことを書きつつ…
15日(土)は西麻布AMRTAでお盆を想いながらDJしますよーーーー!
詳細はまたすぐにでもアップします。
あはっ。
3 件のコメント:
いつも楽しく見させてもらっています。
お盆はお母さんの御墓参りいってきますよ。
安心して頑張ってください。
宮崎の従兄より
見ていてくれたんですね!
ありがとうございます!
宮崎、ぜんぜん帰れなくてすいません…。
僕はこんな感じですが、こちらで元気にやっています。
今年くらいは久々に宮崎に帰りたいですね。
母の墓参りよろしくお願いします!
先祖と過ごす、ってすごくいいですね。
haraguchicさんのこういう瞬間を垣間見るとき、
またパーティと違った顔で、それはそれで嬉しくなる。
かつてネイティブアメリカンは6世代先のことを考えて
言葉や音楽や文化、しきたりを伝承し、生きていた、と
グァテマラで会った同世代の夫妻に教わりました。
たしかにそれは伝承され続けていて、
6世代以上前に書かれた彼らの詩がわたしの心にひびくのです。
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