2010年8月26日木曜日

HELLO YOUNG LOVERS!!!!!

HMV渋谷店の思い出http://noise.livedoor.biz/archives/2010-08.html#20100825


非常階段のJOJO広重さんのブログを読んで、中学の時に宮崎都城のド田舎から横浜に戻ってきたことの思い出しました。

僕のことなんてどうでもいいですが、その辺の事情はここらへんで。
http://haraguchic.blogspot.com/2009/08/blog-post_14.html


当時、都城のCDショップでは、UFOというとへヴィメタルしかなかったわけです…。僕の欲しいUnited Future Organizationなんてどこを探してもなかった…。洋楽ならあるかな~と思って、“UFO”の欄を見つけたときの徒労感はいまだに憶えています。(ヘヴィメタ好きの皆様すいません…。)

なので、コーデュロイとかクルーエルの“HELLO YOUNG LOVERS”とか商品番号書いて注文していたのを思い出しました。インターネットはそういう意味でやっぱり革命ですよね。当時は想像できないですよ、本当に。

僕が中学2年生だった1993~1994年はまさに“シブヤ系”の全盛期で、その頃の僕は宮崎都城の片田舎で想像の“シブヤ”のことばかり考えていました。

なので、“シブヤ”に降り立った時のことは今でも忘れられません。そして、真っ先にHMV渋谷!当時出たばかりのUFOの新譜が壁一面にディスプレイされていた時の衝撃と感動も忘れられません。

横浜に住んでいたから横浜HMVは毎日行ったな~。岡崎京子の「東京ガールズブラボー」のサカエちゃんまんまでした…。あの時ほど情報に飢えていた頃もなかったし、それがそのまま情熱になったんです。

だから当時の渋谷は僕にとっては本当に刺激的で。予備校もわざわざ渋谷にして、サボってばかりいました。お金もないのに試聴とか試着とかばかりしていたな~。

クラブもできたばかりのTHE ROOMやORGAN BARは背伸びしてもしても届かないような、そんな場所でした。そういうところにふらりと寄って、遊んでいる大人(当時は大学生が大人に見えた)がとにかくカッコよかった。

(そのときのことはここにも書いています↓)
http://haraguchic.blogspot.com/2010/04/blog-post_23.html


だから、今クラブで遊んでいることやDJをすることには、すごく複雑な感情を抱えながら、それでもこの状況が良くなるようにと、もがいています。もちろん、前向きに。


そして、また非常階段のJOJO広重さんのこのブログを読んで、僕はやっぱりとても共感しています。

HMV渋谷閉店を考える
http://noise.livedoor.biz/archives/2010-08.html#20100823


僕らが音楽と接する現場で起きる奇妙な連鎖反応、なんともいえない非日常感、それが加速していく時に、今まで見えなかった景色が広がって、その音楽が自分の血と肉となるような気がします。

あの時の“シブヤ”にはそんな感じがビリビリとありました。そしてHMV渋谷は間違いなくその中心にありました。

そしてそれが無くなった今、というかその前から、その街全体が持っていた現場感は、それぞれの手に引き継がれたように思っています。


懐古主義に陥ることなく、自分達の手で、その奇妙な連鎖を、日常の延長線上にある風景を、諦めることなくつくっていきたいですね。


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