なんて…
エラソウなタイトルで書き始めてしまいましたが…
単純にこれは環ROYと二木信の対談(っていうか本当にHard Talk!)を読んで、心に響くものがあったんで、とりあえず、自分の思うところを文章にしておこうかなと。
http://www.dommune.com/ele-king/features/interview/001009/
まず、はっきり言うとどちらが良い悪いという意見は僕には全くないです。
予定調和ではなく、本音で語り合っていること、それがまず素晴らしいと思います。
そのうえで、僕自身が感じていることは、タイトルにあるように、“音楽と責任”っていうことで…
(以下引用)
二木 信:みんな責任感を持ってるの?
環ロイ:俺の世代はそうだよ。スラックはそういうのないから、ああいう風にできる。
二木 信:ああ。
環ロイ:責任感が芽生える必要もなかったっていうか。でも、俺の年代は違う。26ぐらいから上は、何かしらあると思う。
この場合の責任は日本のHIP HOPシーンにおいてってことですが、僕はまずこの姿勢に共感しました。年が近いってことも要因にあるんだろうな~。
日本のHIPHOPシーンのターニングポイントになった“さんぴんCAMP”は僕の兄の世代(4つ上ぐらいかな?)であの時クラブに足繁く通っていた人達にはリアルな出来事で、そして、僕はそういう世代の人達が遊びまくっているのを見て憧れをいただいていた世代なんですよね。
あまり言われなくなっちゃったけど、同時期には“大LB(リトルバード)祭り”なんてのもあって、当時、どちらも楽しそうだな~と思ったのを今でも鮮明に憶えています。
僕らの世代がいまだ“さんぴんCAMP”と言い続けるのは、やっぱりこのお祭りに対して愛憎入り混じるものがあるんだと思うんです。当時僕らが体験できなかったことを一種の通過儀礼のように言うような人達がいるし、いまだに「あの時代はよかった」なんて言う人達がいるから。
いつも思うんですが、あの時、あそこでリスナーとして現場に立っていた人達って今何をしているんだろうと思ったりします。
それは“さんぴんCAMP”に限らず、喧騒の90年代クラブシーンに立っていた人達みんなに。
当時の僕にとっては、90年代は甘美な時代でした。
まるで岡崎京子の「東京ガールズブラボー」みたいに、シブヤっていう場所が中学生の僕には特別で憧れの地。
宮崎から長く離れた横浜へ戻ってきた時の興奮は忘れられない。
DJはみんなカッコよく見えたし、クラブに遊びに来ている人達も服装含めて全てにおいてセンスと知識勝負の時代でした。
ただ、そのお祭り騒ぎは、徹底的に消費し尽くされ、荒野のような00年代が残りました…。
街からはレコードショップが消え、インディレーベルはタフなしのぎを強いられ、クラブはハコ貸ししなければ営業していけない。
僕のように98年からDJを始めた人間にとって、この状況は過酷でした。すべてがうまくいかないと感じていました。(もちろん、今でもその過酷さは変わらないですが…僕は前を向いています。)
あの時遊んでいた人達の多くは、楽しみ尽くして、普通に就職してしまいました。僕らと一緒にシーンを育てるという感覚もなく…。
恨みがましく聞こえるでしょうけど、僕はずーっとそれが辛かった。
そして、現在、彼らの多くは経済的にも1番裕福であるはずなのに、音楽を追っていない(買っていない、遊びに行っていない)人達になっているのではないか?とも思っています。
今でも当時の音楽しか聴かない人達は、僕も環ROYが言うように懐メロ文化だと思うし、ぜんぜんイケていない。
僕は自分を慰めるために90’s HIPHOPをかけたくない。この音楽の強度を信じているから、この音楽を知らない世代のためにかけている。
結局、僕はあそこに果たして文化というくらい強度の高いものがあったのか?という答えの出ない疑問を抱えながらDJを続けています。
正直、今は90年代に起きていたことについて、中学生・高校生の時ほど、よかったとは思えないんです。
それは、ただ単純に新しいものに飛びついた若い世代がムーブメントとしてそれを消費していっただけであって、多くの人はそのカッコよさの本質を見なかったんだと思う。
それはそれで羨ましい時代です。そういう賑やかさの中に身を置いてみたいとも正直思ったりします。
環ROYや僕の世代は、そのときプレイヤーになることなく、そのシーンの外側を憧れを抱きながら見ることしかできなかった世代です。
はっきり言うと、僕の年でそういう経験をしている人も少ない。喧騒の90年代の1番いい時を目撃している30歳以下なんて、そうはいないと思います。
環ROYが言う責任はここを起点としているんだと思います。“90年代っていう時代がいいってことは知っているけど、今は違う。だからこそ、自分がやらなきゃ!”的な。
彼が背負っているものと僕がやっていることなんて、差は歴然とし過ぎて、比べるにも値しないけれども、僕なりに10年以上DJをやってきて、“あの時起きていたことだけが正しいわけじゃない”という勝手な責任感でDJしています。
それが僕の胸を熱くした90年代の音楽達へのレクイエムだと思っているし、今やその音楽を知らない世代もいて、それを伝える責任だって感じています。(これも勝手に…。)
もちろん、新しいことに挑戦するプレイヤーにとっては、“古いものを伝える前に、俺らのリアルを伝えることが先だろ!”って想いも理解できます。
ただ、あえてクラシックスを頻繁にかけているパーティーだって、そこに伝えたいっていう想いさえあれば、僕は大アリです。
まあ、今の音を追っていないDJがDJと言うのかどうかは僕の判断するところではないですし、これがDJだ!なんてことを言えるようなDJじゃありませんが…。
僕は90年代からの栄枯盛衰の中で今もなおシーンの一線で音楽を発信しているDJをリスペクトしていますし、これからの時代を夢想しながら努力を続けているDJも同じようにリスペクトしています。
結局のところ、責任を感じながらじゃなければ続けられないと思いますし、本当に楽しいことはできない。あれだけ盛り上がった時代を知りながら、今も現役で遊び続ける人達は本当にカッコイイ。
DJをしている限りは、遊び続けている限りは、僕はどの世代ともちゃんとコミットをしていきたいです。それが文化を体現することだと思っています。もちろん、末端ですけどね…。
どんなに新しいことをやっても、それを伝える努力をしなければ、“俺達、イケてるでしょ!”って言って、ゴニョゴニョやっているだけです。
昔のことを内輪で語り合って“俺達イケてたでしょ!”って言っても、それもゴニョゴニョやっているだけ。
責任なんて、エラそうなことを言ってしまったけれど、自分が求められているものを感じながらオープンな気持ちで遊んでいれば、楽しいことがついて来ると思っています。
どうかその楽しさが、賑やかな夜につながりますように。
なんだかまた書き過ぎちゃいましたね…。
フロアでまた会いましょう~。
3 件のコメント:
一昨日夜はありがとう。またアキバ来てください、ああいう店ならいくつかありますw
対談読んだ、ただただ面白い!
“生”同士だから刺さるパンチラインがちらほらと、こういうのことがHIP HOPなんでしょう、いや“音楽”なんでしょう!
二木さんというから、御大・崇さんのほうかと思ったら、素人の乱などで活躍されてる二木信さんですね。彼の今後のレビューに注目ていきします。
それと環ROY、きちっと向き合って聴いたなかったけど、聴いてみたくなった、しっかりと素晴らしいプロモーションに繋がってるよ。
ちょっとレベルをかなり落とした居酒屋トークを思い出して、ライムスの「ワンスアゲイン」に対して、アイヤマが「ふざけんなよっ、勝手にワンスアゲインとか言ってんじゃねえよ、一回も終わってねえよ」とかディスってましたw。
VABOさん
レス大変遅くなりました!
この対談がささってくれたこと、とても嬉しいです!
まだ終わっていないあの件、是非実現させましょう!!!
これからも宜しく御願い致します!
中1の時に渋谷に行った時の感動は忘れられないなぁ!タワレコとかレコードショップとか!そして、おまけに、カツアゲされたりとか。
でも高校になって気づいたら新宿と小金井公園ばっかりで遊んで/パーティーしてました。
そして18でアメリカに行ってパーティーは車とガレージの中に。
思ってみれば90年代の渋谷は目の前にあったのに、スルーしてたんだよね。
そんなに楽しかったんだ?!
何のノスタルジアもない。勿体無いね。
そして、今、沖縄。「パーティー」の中心は家の中。
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